チャレンジャー2025津岡翔太郎、ジャパンセブンズでSDSの最多トライをあげ優勝に貢献 | ラグビージャパン365

チャレンジャー2025津岡翔太郎、ジャパンセブンズでSDSの最多トライをあげ優勝に貢献

2025/07/16

文●大友信彦


「今はセブンズに恩返しをしたい」

勝って当然、と言いたげな顔だった。

7月13日、ワンデートーナメントで行われたジャパンセブンズ。優勝したのはSDS(セブンズ・デヴェロップメントスコッド)だった。準決勝では帝京大を29-17で、決勝では2年連続でファイナルに勝ち上がってきた大阪府警を26-12で退けた。表彰式を終え、ミックスゾーンに現れた津岡翔太郎は「負けることは考えていなかったので」と、ちょっとニヒルに言った。

津岡翔太郎

津岡翔太郎

津岡は現在のセブンズスコッドでは最古参の29歳。2019年にスコッド入りし、東京五輪はバックアップ。その後、所属していたコカ・コーラが廃部になったあとも日本協会とセブンズ専任選手として契約し、なかなか選手が集まらない男子セブンズを支え、パリ五輪に出場した。


――次のロサンゼルス五輪はターゲットとして見えているのですか?

そう聞かれた津岡は答えた。

「そこは全然考えていません。ただ、今は僕の気持ちがセブンズにあるし、セブンズに恩返しをしたいという気持ちでやっています。今言えるのは、今年のアジアシリーズまではセブンズをやりたい。去年の9月に命にかかわる怪我をして、その気持ちが強くなりました」


昨年9月のアジアシリーズ第2戦、中国大会。パリ五輪が全敗で終わって1か月余り。五輪メンバーで参加していたのは津岡とケレビ ジョシュア、パリではバックアップだった吉澤太一の3人だけだった。その大会で津岡は肋骨を4本折る大怪我を負った。折れた肋骨の1本が肺に刺さった。外傷性肺気腫。命にかかわる深刻な状態だった。

緊急入院した現地中国の病室で、津岡は日本協会とのセブンズ選手としての契約書にサインした。


「パリ五輪のあと、リーグワンのチームからオファーもいただいていました。でも、五輪という素晴らしい舞台を経験したんだから、その経験を誰かが次の世代に伝えなきゃ、という思いはありました」

そんな思いを抱えながらアジアシリーズを戦っているときに、大きなケガをしてしまった。それが、セブンズの舞台に戻るんだ、復活するんだという強い気持ちにつながったのかもしれない。肺気腫は「思いのほか、順調に回復しました」。津岡は3月のワールドシリーズチャレンジャー大会で復帰を果たした。


「強くなっていると思いますよ」と津岡は笑顔を見せた。

「今年はチャレンジャー大会の2戦目で4位に入りました。もちろん目標にはまだ遠いのですが、去年は取れなかった順位です。若い選手の伸び方、成長の仕方は、パリの前よりも高いと思う。パリ五輪の前は正直『これでセブンズを終わりにしてもいいかな…』とぼんやり思っていたんですが、今は若い選手をサポートしたい、セブンズに恩返しをしたいという気持ちが強いです。僕はセブンズに育ててもらった選手ですから」


そのセブンズ愛は、セブンズを離れた仲間たちにも向けられている。

パリのあと、セブンズを離れた石田吉平と植田和磨はこの夏、15人制の日本代表入り。石田はウェールズとの2試合に出場。植田はキャップこそ得られなかったがウェールズとの第2テストでリザーブ入りした。

「セブンズを一緒にやってきた仲間として、めちゃめちゃうれしいです! あの2人はサイズの壁をひっくり返すような能力を持っているし、絶対にやってくれると思っていたけど、こんなに早く代表入りしてくれるとは驚きました。2人とも、これからの日本代表を背負っていく選手になれると思う。応援しています」


セブンズの後輩たちが15人制で活躍している今、津岡自身は15人制への思いはどうなのだろう。

「実は今も、リーグワンのチームからオファーをいただいていて、きちんとお話しなきゃいけないな…と思っているところです。今は、セブンズの契約が9月いっぱいまであるので、まずセブンズに恩返しをしたいという思いが強い。ただ、これまで応援してくださっていた方に、国内でプレーする姿を見せることができなかったのが少し心残りで。だから、リーグワンのチームに入ったら、これまで長い間応援してくれた方々の前でプレーできる、恩返しができるかな……という思いもあるんです。でも、今はまずセブンズを盛り上げたいですね。まず、今年のアジアで優勝できるように若いチームをサポートしたい」

ジャパンセブンズでのプレーには、そんな津岡の思いが表れていた。相手のタックルを引き受けて力強く前に出て、オフロードパスを若いランナーに送る。周囲に目を配り、声を出してディフェンスを統率し、味方を鼓舞しながら、自らも強気で前に出てトライを決める。3試合であげたトライはチーム最多の4。個人表彰があればMVPを獲得していたかもしれない、力強いパフォーマンスだった。

「今見えているのは、アジアシリーズで勝つということだけです。アジアのセブンズはどこも強い。香港はずっとライバル関係だし、最近はインドでもプレミアラグビーというリーグができて、世界からスター選手が集まって強化が進んでいる。アジアの戦いも面白いですからね。まずアジアで勝って、来年のチャレンジャーシリーズにつなげたい。その力は十分にありますからね」

言葉の端端からセブンズ愛がにじみ出る。
これからどんな道を選んだとしても、津岡はセブンズプレーヤーとして生きていく。

大友信彦
(おおとものぶひこ)

1962年宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼高校から早稲田大学第二文学部卒業。1985年からフリーランスのスポーツライターとして『Sports Graphic Number』(文藝春秋)で活動。’87年からは東京中日スポーツのラグビー記事も担当し、ラグビーマガジンなどにも執筆。

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